大人になって行動範囲が広くなるにつれて、その不思議な感覚はいつの間にか消えてしまいましたが、子どもの頃の私には「通過電車」という概念がなかった。
というのも管理人メトロポリマンが生まれ育った江坂に乗り入れる路線は、大阪市営地下鉄(現 大阪メトロ)御堂筋線、北大阪急行南北線。来る電車、来る電車のすべてが各駅に停車するのが当たり前の環境だったのだ。
たまに乗る阪急千里線も、身近な区間では普通(各駅停車)だけ。私にとっての鉄道は、とりあえず来た電車に乗れば行きたい駅まで連れて行ってくれるものだった。
今回の散歩はJR京都線の茨木駅からスタート。ゴールは隣の千里丘駅。距離は4kmほどの、少し短めで、だけど中身の濃い徒歩旅だ。
成長とともにスピードを知っていく
まずはスタートの茨木駅。新快速・特急・貨物電車が駆け抜けていく1番線・4番線のりば。そこには人が電車に乗れないようにホームの端から端までロープが結ばれていて、「通過電車に注意」の注意書きが貼られている。平日朝だけは快速が停車するためロープを外すのだが、そのほかの時間帯はロープが人を守っている。

配線の撮影のためカメラ片手にホームを歩いていると、ひっきりなしに電車が茨木駅を通過していく。ホームがあるのに電車が停車しないこの光景は、各駅停車の町で育った私の原風景にはありえないもので、未だに新鮮で遠い存在に感じている。
小学校の遠足で乗ったJR京都線の普通電車。その車窓から見えた、軽快に追い抜く銀色の新快速は、今でも脳裏に焼き付いている。並走しているため相対速度はゆっくりで、向こうの乗客の顔がはっきり見えて、思わず手を振ったような。
各駅停車しかない路線で「とりあえず来た電車に乗る」ことが当たり前だった幼少期。高校・大学と成長するにつれて、「この駅で降りるには、どの電車に乗って…?」と考えるようになった。そこから徐々に、通過するには待避線が必要だとか、線路が多い複々線にも方向別・路線別などパターンがあるだとかを知っていき、「配線の世界」へと引きずり込まれて、今こんなこと(?)になってしまったのかも。
JRとモノレールのツーショットを狙え
話を通過電車に戻そう。「茨木」と「通過」が脳内で交わると、どうしてもJR京都線と大阪モノレールの交差部に「駅がない」問題が頭に浮かぶ。
大阪の中心部から放射線状に伸びる鉄道同士を繋ぐ、環状鉄道として生まれた大阪モノレール。阪急宝塚線、北大阪急行南北線(+大阪メトロ御堂筋線)、阪急千里線(+大阪メトロ堺筋線)、JR京都線、阪急京都線、大阪メトロ谷町線、京阪本線と交差しており、大阪の郊外で暮らす住民にとっては必要不可欠な路線だ。(今後延伸して大阪メトロ長堀鶴見緑地線、JR学研都市線、近鉄けいはんな線(+大阪メトロ中央線)、近鉄奈良線(阪神なんば線)と接続予定)これほどの路線と交差するにもかかわらず、JR京都線だけは乗り換え駅が存在しない。これまでも十分に議論があったのは想像に易いが、未だに解決の兆しは見えない。
ということで歩いて来たのが、JR京都線と大阪モノレールの交差部。実はこのスポットは大正川とも交差しており、高低差フェチの私にとっては尚更に魅力的なスポットだった。

ということでここで足をとめて、狙うはただ1つ。JR車とモノレールのツーショット。
本数が少ないモノレールの時間に合わせてカメラを向け、右か左からJRが映り込むのを期待する戦法で、祈るようにいい写真が撮れるのを待つ。
連写設定をし損ねて撮り損ねたことで一度心が折れ、散歩を再開するか悶えたりしたながら、耐えること40分。ようやくその瞬間がやってきた。

モノレールが門真方面のなので、軌道に遮られ車体が下まで見えないことに目をつぶれば、いい感じか? この日はモノレールが5分間隔の増発ダイヤの日だったこともあり、鉄道の神様が少しだけ味方をしてくれたよう。
極上のツーショットに満足して再び散歩を再開。南へ進んでいく。
また高低差スポットを発見。人が通るのもやっとの天井が低い歩道。通り慣れた自転車や原付のバイクは軽やかに走り抜けていくのが恐ろしい。

一方で天井が低い分だけ、頭のすぐ真上を走る列車たち。一段と迫力があり、心が躍る。

そしてまた貨物列車に惹かれていく
しばらく歩いて、このお散歩の目的地にようやく着いた。
それが、丑寅第一踏切と第二踏切、蔵垣内第一踏切と第二踏切。JR京都線でもこの辺りでは珍しい、未だに踏切が残っているスポットだ。
まずは丑寅第一踏切。幅員が狭い、歩行者専用の踏切。自転車に乗った親子や原付のおばさまが何人も通り過ぎていく。

複々線でかつ幹線ということもあり、遮断機が一度下がってしまうと次開くまでには時間を要する。
さらにこの時はダイヤが乱れており、新快速が踏切の手前で停止してしまった。こうなるともう踏切は開かない。内側線の普通電車が何度も交差しても、中々動き出さない。しばらくして、築堤の奥にうっすら見える線路で特急はるかが通り過ぎたと思ったら、ようやく新快速がモーターを唸らせて動き出した。

電車が通り抜けるまでしばらく待って、いよいよ丑寅第二踏切へ。第一踏切と繋がってる貨物線側の踏切だ。

こちらもダイヤ乱れの影響で貨物列車が中々来ない。大きい舌打ちをしてたお兄さんが非常に怖かった。しばらく待っていると、あの独特な重低音が遠くから聞こえてきた。貨物列車がやってきたサインだ。
このとき私は不意に、かなり昔の、父親との記憶を思い出していた。
自転車の乗れるようになってすぐの頃、補助輪を外したばかりの自転車で線路沿いを走り、父親と吹田駅の近くまでやって来ていた。アサヒビールの工場の前で、一番手前には貨物線。何十分、あるいは何時間そこにいたのかは覚えていない。
ただ、手前の線路を走る貨物列車にはとりわけ興奮していて、独特な重低音が遠くから聞こえてくる度に、「かもつきた!」と言っていたような。大きくて、強そうで、あの頃は貨物列車に何かしら憧れがあったような気がする。そして帰り際に食べる、うずらの卵がのったざるそばも、たまらなく好きだった。
もう20年以上も昔の、脳の奥底に静かに眠っていたはずの記憶が、目の前の貨物の風圧によって、まるで昨日のことのように鮮やかに蘇ってきた。
そしていま、目の前を走る貨物列車も、相変わらずダイナミックで力強さがある。

胸がいっぱいになりながら、蔵垣内第一踏切と第二踏切も渡り、ゴールの千里丘駅へと向かう。

ようやく着いた千里丘駅。跨線橋から線路を見下ろしてみる。千里丘駅と隣の岸辺駅の間には、吹田貨物ターミナル駅があり、これを横切るには線路何本分も渡らなければいけないため跨線橋は非常に長い。貨物駅を見下ろすと、無数に枝分かれしていく配線が見えて、見応えがある。

これまで鉄道の配線を趣味としておきながら、規模が大きくて複雑なJR関連は無意識に避けていた私。ですが、貨物電車を眺めていたあの日の記憶と、ダイナミックな風を受けてしまった以上、もう目を背けることはできない。貨物電車そのものからしっかり理解したいと思い、散歩のあと、私は一冊の本を手に取っていた。
図鑑なので、網羅的に貨物列車を知ることができる、最高の教科書だった。これを1ページずつめくりながら、あの複雑な鉄の迷宮を紐解いていく、そんな新しい挑戦の始まりに、今から静かに胸を躍らせている。
ということで今回の散歩はここまで。お散歩を通じて、今までの自分と向き合いながら、新しい自分にも出会える。この記録を今後も続けていこうと思う。
今後の鉄道イベント情報(鉄道コムより)





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